自分の人生の舵をとれない
タイトル通り、自分の人生の舵を取ることができない。
自分の人生はどうなるか、この先どうなるのかということは、完璧には予測できない。
でも、ある程度予想通りになってきた人生だから、なんとなくわかっちゃうんだろうな。そういう気持ちでいる人に「明日のことは誰にもわからない」って真理を教えても何が変わるっていうんだろう。明日を予想して、そのとおりの明日がきちゃうんだもん。
それでも、もしかしたら明後日はその先は1年後はきっとって思って、方角くらいは決めて舵をとりたいが、それすらできない人生が続いている。
かと言って流されていたいわけではなく、あたふたしている。
高城剛の生き方、考え方に触れると希望が湧いてくるけど、かといってじゃあ今の俺はどうするってことがわからないし、考えて考えて自分と対話して対話しても、出てこないんだ。すると発想は変わって、対話しても対話しても何にも出てこない自分がおかしいんじゃないのか?ってことになる。すると原因を探しだして、あー僕はアダルトチルドレンだったんだ。あー僕はほとんどうつ病だったんだな。ってわかるんだけど、じゃあその先どうするってなるとこれまた結局舵は取れないんだな。そういうの分かったって、即効性のあるクスリもないし、自分自身で時間をかけて治していくしかない。
そうしていくうちにも働かなければならないわけで、働くには仕事を探すわけで、そうすると結局自分の人生の舵をきる必要がでてきて、また堂々巡りになる。
そういう人間なんだ。僕はもうそういう人間なのだ。と割り切れるかっていうと、そんな勇気はない。
どこかでやる気を出して何かをするということができない。
不思議だ。
何ひとつとしてやる気にならないし、惰性で漫画を読んでも結局虚しい。
自分が欲しているものがわからない。
じゃあ何のために生きているんだろう。欲しているものがわからない人生ほど辛いことはない。
正しいネガティブのすぎたさんが「やりたいことって結局、自然とやっちゃっていること」って言ってたけど、自然とやっちゃっていることを僕は望んでいない。
確かに漫画は今ある問題とかそういうのを一瞬忘れさせてくれるけど、僕が望んでいるものは他にある気がしているんだ。
それが何かわからなくて今日も明日もあさっても探して探して生きていくしかない。