他人の悩みを侮辱することはしてはいけない
頭でっかちに育ったせいか、僕の中には固い価値観ができている。
30歳を迎え、少し柔らかくなってきたのかなと思うが、それでもやっぱりなかなか壊すことはできない。
その価値観ゆえに、それから著しく外れたものにたいしては侮辱をしていることが多い。
昔、大学の友人が彼女と別れるかについて激しく悩んでいた。
理由を聞くとセックスがあまりに少なかったからだそうだ。
その時の僕はその理由は仕方ないことだと思った。セックスは必要なことだから。
だが、その先からが理解できなかった。
その友達は、彼女と別れていないのに、他の女の子とセックスしたそうなのだ。
僕はそのことが許せないというか、なんてかっこ悪いのだろうと思った。僕の美的感覚に従うなら、その彼女にはセックスを原因に別れを告げ、きちんと終わらせてから、次の子と付き合うべきだった。
だが、のらりくらりと別れたいけど別れられない。。。でも別の子とセックスはしちゃった。その子と付き合うかどうかどうしよう。。などと言っている彼に否定的だった。
それから10年の月日がたち、今、僕はセックスレスが原因で彼女と別れようとしている。
この彼女とはセックス以外は問題ない。セックスだけが自分の価値観とかけ離れているのだ。
僕はこの問題に心底悩んだ。必死で解決策を練った。その考えの中に、「風俗に行ってみてはどうだろう」や「他の子ならどうなんだろう」といった考えもあった。
そうして気づいた。
大学の彼もこういう風に悩んでいたのだなと。
20歳そこらの男の子がこの悩みにぶち当たればそりゃ他の子とセックスしたりもするよなあと理解できた。
多くの悩みごとは、その立場にならなければきっと理解できないことだったと思う。
想像力がいくら豊かであったとしても、きっと理解できないことなんだ。
そのことに気づいた僕は反省するとともに、理解できないことに対する諦めも感じた。
人間は他人を理解することが難しい。立場が全く同じになることなどない人生で完全な理解はおそらく起こりえないはず。だからこそ、どんな人間に対しても敬意を払うべきなんだな。理解できないことを理解することで、それはきっとできると思う。
もしかすると、この考えは、突き詰めると、生命に対し敬意を払うということになるのではないだろうか。